トイレが怖い!?
今はもうほぼすべてのトイレは水洗になってしまったのですが、ほんの50年ほど前までは汲み取り式、いわゆる「ぼっとん便所」が多くありました。
和式便器のまん中に口を開けた真っ暗な穴。それは底の知れない深さ、たちのぼってくる臭気と相まって、子供の心にはまるで異世界へ通じているような恐さを感じさせました。
そこから手が出て来ても不思議ではなく(不思議なんですが)、この世ならざる何者かに下から覗かれているような気分を味わいながら用を足していました。
穴自体も結構大きかったので、小柄な人だと呑み込まれてしまうかも知れないというリアルな危うさもありました。
もしも万が一ハマったらおそらく一生モノのトラウマだろうという想像は、子供のみならず大人の心も寒からしめておったものです。って、なんか変な表現になってしまいましたが。
関西では「便所にはまったら名前を変える」という民間の伝承もあったといいます。
これは「便所は現世と常世との通路である」という考え方がもとにあって、一度落ちた者は死んで生まれ変わってきたのだから新しく名前をつけなくてはならない、ということだといわれているそうです。
便所に限らず、昔は家の中そこここにわりとこわい場所があったと思われます。
蛍光灯も、ましてLEDも無い頃、灯明やロウソク、白熱電灯の照明は当然いまほど明るくありませんから、部屋の隅々に小さな影や闇を作り出します。
そこに何らかの魑魅魍魎が潜んでいるような、そんな感じはきっとあったんでしょう。
さらに便所は暗い廊下の突き当たり、ちょっと田舎では家の外なんていう場所にあることも多かったので、その道中からしてさぞやこわいものだったのでしょうね。
美しく白き水洗のトイレは、スイッチを入れればすぐに明るくなる廊下のメインストリートにあって、真夜中でも丑三つ時でもいつもフレンドリーです。
妖怪が棲んだり穴から手を出してきたりということはおろか、そんな怪奇な想像すらほぼ許してくれません。
たとえば大きな箱形のブラウン管テレビから出てくるからこそ、貞子は怨霊としての確固たるアイデンティティを保てたのです。
薄型の液晶テレビから出てくるのはあまりにも不自然ですし、真横から見たらどんな感じなのか気になって、無邪気にこわがってられません。
ましていまやテレビの無い家も多いです。
携帯のワンセグ画面からだと小さい貞子しか出てこられません。
はえ叩きで「ぺしっ」とやったら勝てそうで、ぜんぜんこわくありませんよね。
彼らもやりにくい世の中になったなあ、これからどうなっていくんだろう。などと妖怪や物の怪達の行く末を案じながら、水洗ボタンをポチッとしている今日この頃です。
著:おじま あきら